てんかん(JME)になんて負けないぞ

若年性ミオクロニーと診断された、息子の日常と、家族の気持ちを綴っていきたいと思います。

再びの救急搬送

薬を変更(イーケプラから、デパケンに)した当日の夕方、息子は、「眠いから、少し横になる」と、ベットに入りました。


19時になっても起きてこない。20時になり、「いい加減、起きてよ。薬も飲まなきゃだよ」との、私の声に、イヤイヤ起きてきて、夕食をとりました。


薬を飲み、「部屋に行く」と、自室に。


私と娘は、リビングでテレビを見ながら、お喋り。すると…


「ドーン」という音…あっ、倒れたな…


娘と共に、息子の部屋に入ると、ベットから転がり落ちたであろう、うつ伏せの状態で、痙攣発作。とりあえず、落ち着いて…と、自分に言い聞かせ、様子を見る事に。

しかし、嘔吐もあり、顔色も悪い。


「119番、救急車呼んで」と、娘に。


娘から電話を受け取った私の手は震えていました。


救急車が到着するまで、私は息子の側に、娘は、救急隊員を迎えるべく、玄関前で待機。


10分程で、救急車が到着。ここは、住宅街。やはり、外に出て、見ている方も…しかし、そんなのは、どうでも良い。早く病院に…


我が家の主人は、単身赴任で不在。

私が救急車に同乗したら、帰りが困る…

救急隊員の方にも事情を話、病院側にも了解を取り、私は、自家用車で、搬送先に向かう事に。


その時、娘が、「1人、運転させていくのは不安だから、私も一緒に行くよ」と。


何て心強い。いろんな意味で、ウルウルしながら、病院へ向いました。


「時間も遅いし、1晩、様子見で、入院しますか?」「はい、お願いします」との事で、入院手続き。

不安気な息子を見て、「もしだったら、お母さんも泊まられますか?」と。

「はい」(あ~、ここなら、私も、安心して眠れる)


が、娘を、家に送らなければ…

結局、娘を送り、病院に戻る。この時、すでに24時を回っていました。


息子は、熟睡。少しホッとしました。


しか~し、そんな時間も束の間、「お母さん、背中が痛い」「首が痛い」と始まり。

湿布を処方してもらい、アイス枕を用意してもらい、ウトウト。


時間は、夜中の3時。「無理、痛くて眠れない」。申し訳ないな…と思いながら、ナースコール。痛み止を貰い、眠りにつきました。


その日の午前中には、退院してきましたが…

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