てんかん(JME)になんて負けないぞ

若年性ミオクロニーと診断された、息子の日常と、家族の気持ちを綴っていきたいと思います。

薬の副作用

イーケプラを飲み始めてから、「学校で、眠くてしょうがない」「思考力が無くなる気がして、ボーッとしてる」と、息子が言うようになりました。


さらにその後、常にイライラ。

「薬なんて飲みたくない」「飲まなくたって、発作は起きない」「死んだって良い」等と、口走るようになりました。


毎日毎日、そんな状態の息子に、私の身体も、悲鳴を上げ始めていました。

全く食欲が無くなり、ここ2週間で、体重6kg減。病的な、痩せ方です。


「息子のイライラは、薬の副作用?」と思い、主治医に連絡をとりました。


「では、今晩の分と、明日の朝は、服薬しなくて良いから、明日、受診して」と言われました。


薬を飲まないで済むと言う解放感からなのか、息子の機嫌は、すこぶる良かった気がします。


つづく

脳波検査

飲食店で起こした痙攣から、10日後、ようやく、てんかん専門病院にての、脳波検査の日になりました。


この間、「てんかん」について、どれだけ調べた事か。一喜一憂し、私の精神状態も、不安定になっていました。


結果は、その日すぐに出ました。


「若年性ミオクロニーという症状ですね」「今日から、薬を始めていきましょう」


その場では、「やはり、ミオクロニーでしたか」「はい、薬をお願いします」と、冷静に受け答えしていましたが、帰りの車の中では、「息子が、てんかん」「これから、どうしたら良いの」と、パニックに陥っていました。


しかし、薬で、発作は、ほぼ抑制されるミオクロニー。「きちんと薬を飲んで、睡眠不足にならないようにすれば、大丈夫」。


この時は、大丈夫、大丈夫と、自分に言い聞かせていました。


処方されたのは、イーケプラ250mgを、朝晩1錠ずつでした。


つづく

その時は突然に…

初めまして_(._.)_若年性ミオクロニーを発症した息子について、綴っていきたいと思います。


ここ1ヶ月の事を、いくつかに分け、書いていきます。


あの日の前日、息子は、友達の家で、お泊まり会。きっと、オールでゲームに没頭していたのだと思う。


朝に帰宅し、自室に入りました。


昼になり、外食にでも行こうかと、近くの飲食店に入りました。食券を購入し、番号が呼ばれたら、取りに行くシステムです。

お盆に乗せられたメニューを抱え、小上がり席に上りました。


ガッシャーン…ん?ん?息子が、呆然と立ちつくしていました。持っていた物を、ひっくり返していました。

「何やってんの(>_<)」「すみません」等と、お店の方に謝りながら、「大丈夫ですよ。別の席へ、どうぞ」と。


ここからです…隣に座った私の横で、ピクン、ピクンと、始まりました。

「えっ?何?大丈夫?」「大丈夫だよ」「落ち着いて、水でも飲んだら」なんて言ってる間に、「ウーッ…」と言いながら、倒れて痙攣が始まりました。


息子が小さい頃、熱性痙攣は経験していたのですが、体格も大きくなった息子の、痙攣する姿に、私は、「救急車を呼んで下さい」と、叫んでいました。


その日は、祝日だった事もあり、なかなか、受入れ先が決まりませんでした。

30~40分経ち、ようやく病院へ向けて、走り出しました。


MRI検査をし、「脳には、異常は見られませんね。しかし…」「はい?」「てんかんの可能性がありますから、専門の病院に、紹介状を書きますね」と。


て、ん、か、ん…頭の中が、真っ白になりました。


つづく